ゴルバチョフ氏死去、91歳 冷戦終結に功績―旧ソ連大統領

ゴルバチョフ氏死去、91歳
冷戦終結に功績―旧ソ連大統領
 旧ソ連のゴルバチョフ元大統領=1990年6月、モスクワ(AFP時事)

 タス通信などによると、旧ソ連末期に平和共存外交を展開、東西冷戦を終結に導き、ノーベル平和賞を受賞したミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が30日、モスクワの病院で死去した。91歳だった。停滞していたソ連立て直しを図る「ペレストロイカ」を推進したが、保守派クーデター未遂事件で挫折、ソ連崩壊で失脚に追い込まれた。

 病院は「今夜、深刻で長く続いた病気の後にゴルバチョフ氏は死去した」と発表した。ロシアのペスコフ大統領報道官は「プーチン大統領はゴルバチョフ氏の死去に関し、深い哀悼の意を示している」と語った。

 1931年3月、ロシア南部スタブロポリ地方生まれ。モスクワ大卒業後、ソ連共産党地方幹部を経て80年10月に党政治局員に昇任。85年3月、54歳の若さでソ連最高指導者の党書記長に選出された。

 ソ連社会の停滞打破に向け、ペレストロイカに着手。86年4月のチェルノブイリ原発事故後は情報公開「グラスノスチ」を推し進めた。86年12月のサハロフ博士の軟禁解除に象徴される民主化政策で社会に自由の息吹をもたらした。

 外交面では、平和共存を目指す「新思考外交」を展開。レーガン米大統領(当時、以下同)と会談を重ね、87年12月に中距離核戦力(INF)全廃条約に調印、軍拡競争に終止符を打った。社会主義陣営の盟主としてソ連が君臨する「ブレジネフ・ドクトリン」を放棄、東欧革命やベルリンの壁崩壊、ドイツ統一を容認。89年12月のブッシュ米大統領とのマルタ会談で冷戦終結を宣言、その功績で年のノーベル平和賞を受賞した。

 しかし、国内では共産党官僚ら保守派の抵抗に遭い、経済改革に失敗。新たな権力基盤を築くため、90年3月に初代ソ連大統領に就任、共産党書記長と兼任したが、物不足で人気は低迷した。

 アルメニアとアゼルバイジャンの対立やバルト諸国の独立運動で動揺が拡大。ソ連存続を目指し、新連邦条約の締結交渉を進めたが、91年8月に保守派クーデター未遂事件が発生、別荘に軟禁された。これを境にエリツィン氏(後のロシア大統領)ら急進改革派に実権を奪われ、91年12月、大統領を辞任、ソ連が消滅した。

 91年4月にソ連首脳として初めて訪日。北方領土問題の存在を認め、歯舞、色丹、国後、択捉の4島が交渉の対象であることを明記した共同声明に署名した。

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