いわゆる「カタカナ語」の氾濫が気になり始めて半世紀ほどになる。次から次へと湧いてくる新顔たちを追いかける根気もうせてきた。
本棚の奥に三省堂「官公庁のカタカナ語辞典」があり、久しぶりに取り出した。1994年第1刷とあるから、もう四半世紀前のもの。お値段は2400円だから安いものではない。当時使われていた福祉関係など官公庁関係のカタカナ語がたくさん並んでいる。アルファベット略語や外来語の先祖ともいえるガラスやグラス、コップがオランダ語由来であることも分かる便利な辞典。しかし、出版後にパソコンや携帯電話の普及が急速に進んだこともあって棚の奥深くで休息する時間が長い。
先日、通信販売の冊子型のカタログが郵送されてきた。とじ込みの付録はA4判、23ページの「カタカナ語辞典」。パソコンやスマートフォン、新型コロナウイルスの時代に対応した450のカタカナ語、略語が並んでいる。裏表紙には「エビデンスは科学的根拠で済むと思う」との文字も。編さんに当たっての心意気。クラスター、ロックダウンなどの語に簡潔な語釈が与えられている。改めて思う。なぜニュースではカタカナが先で、感染者集団や都市封鎖という実に分かりやすい日本語は括弧の中の説明語なのだろう。
どこかの校則のようだが、言葉の乱れは心の乱れなのか。政界長老たちの放言騒動にあきれながら、考えるために辞書を開く。「ジェンダーとは」。(水)









