2000年の夏、苫小牧市民会館一室に約30人の男たちが集まった。当初、場は緊張感に包まれた。オール苫小牧結成時の選手向け説明会で発起人代表があいさつした。
「硬式野球を愛する人が自由に参加できるチームにしたい。経験者も多い。仲良くやれば結果はついてくる」。初代監督になる酒井明さんが呼び掛けると何人かが納得した様子で深くうなずいた。説明者の側に居た当時の日本野球連盟道地区連盟常任参与、鎌田明さんがそれを見て柔和な笑みを浮かべた。
王子製紙の硬式野球部統合により、道内唯一の苫小牧工場硬式野球部は活動を終えたばかり。社会人野球の灯を消すまい―と有志が動いて市民クラブの結成を準備し、くだんの説明会を8月7日夜に開いた。同野球部からは苫小牧で社業に従事する元部員たち、他からは大学・高校野球経験者が加わった。
有志に名を連ねた鎌田さんは先月24日、93歳で息を引き取った。クラブ結成の直後はチームの夜間練習に来て、球拾い奉仕にも参加していた。連盟では公式記録員の重鎮。社会人野球の大会取材のたび「よう、調子はどうだい」と気さくに声を掛けてもらい、よく談笑した。
王子チーム1950年発足時の外野手。「王子製紙苫小牧工場硬式野球部40年のあゆみ」(91年)に寄稿し、仲間を回顧して〈一人ひとりの顔に、彼らの野球人生を刻んだ表情を見ることができる〉。往時に拝した鎌田さんの面影は忘れ難い。(谷)









