年齢のせいか。長くコンピューターの日本語文書作成機能に頼り続けたのが悪いのか。漢字を書く能力が、日々衰えていくのが分かる。
新聞の「女性蔑視」という大きな見出しを読みながら、蔑という文字を人差し指で空中に書いてみる。何度か書いてようやく正解らしく思えたものの、書き順には自信がない。小学校高学年の頃から難しい漢字は「書けない字」と決め付けてきた。そんな怠惰への罰だろう。難しい漢字が本や資料に現れても、読み方だけ覚え、書かずに過ごしてきた。新聞では、動植物名が原則、カタカナ表記。これも漢字力の低下につながった。原稿に手書きの時代はまだしも、ワープロに書いてもらい、意味だけで熟語を使い回している無精。薔薇(バラ)も躑躅(ツツジ)も読むだけ。骨粗しょう症の鬆(しょう)も、骨密度が落ちたのに書いたことがない。
数カ月前、車のラジオで難しい漢字の書き方、覚え方を少し聞きかじった。うろ覚えながら我流でまねしてみた。憂鬱(ゆううつ)の鬱の字は「木缶木ワ―」といった具合だ。この方法で、麒麟(キリン)や檸檬(レモン)も覚えられた。自分の手で書くことの、何と心地よいこと。展望が少し開けてきた。
きのう午後、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の長い長い辞任あいさつをテレビで見ながら思った。魑魅魍魎(ちみもうりょう)も必ず書いてみよう。内なる魔物の退治の仕方も合わせて学ばなければ。(水)









