その瞬間は苫小牧市役所の9階で取材をしていた。高層階だからなのか、ガタガタという揺れではなく、ゆらゆらとうねりのような大きな揺れ。緊急時を知らせる、けたたましいベルの音を聞きながら階段を駆け下りた。
2011年3月11日。10年が経過しても東日本大震災の記憶は鮮明だ。
苫小牧港の漁港区も津波で漁具は流され、荷さばき場は水没。港外へ続々と避難する船舶にシャッターを切り続けた。流れるニュース映像に衝撃を受けたのは言うまでもない。
大地震だけは、その風景が記憶に残っている。1968年の十勝沖地震(後に三陸沖北部地震)は、小学校の教室でチューリップの歌を歌っていた。その日の午後7時すぎに強い余震が来て、家のテーブルに半べそをかきながらしがみついた。
都合が悪くなると記憶がなくなる政治家や官僚は論外だが、時がたつと記憶が薄れることもある。東日本大震災の被災地では、記憶や教訓を伝える伝承館が東北3県で270カ所を超えるという。復興が進むにつれ、震災の爪跡は分かりづらくなるが、住民らの草の根活動の拠点だ。
私たちも震災から多くの教訓を学んだ。津波の恐れがあるときは「逃げる」。最も重要で簡単なことであっても、次の世代に語り続けていかなければ生かされない。時がたち、たとえ記憶が薄れても「教訓」を風化させてはいけない。(昭)









