2011年3月11日、午後2時46分。その時は取材で千歳市役所にいた。突然の大きな揺れ。収まると、ロビーにあるテレビの周りに人だかりができた。今のは何だったのか。その後、リアルタイムで映し出される衝撃的な映像にしばらくはぼうぜんと立ち尽くすしかなかった。建物も車も津波に押し流され、走って逃げる人たちの姿もあった。現実なのか。多数の死者や行方不明者の存在が明らかになるにつれ不安、恐怖を感じながらも何か被災地の助けになりたいと心から思った。あれから10年。
「もう忘れられたと思っている」―。出張で宿泊した宮城県内のホテルのおかみは、観光客の入り込み数がなかなか震災前の水準に戻らない現実にそう本音を漏らし「私たちだけが無事だったという後ろめたさもある」と被災者の声を代弁した。助かった人たちは葛藤しながら復興の現場に立っている。10年は通過点にすぎない。
先日見た民放のテレビ番組は、沿岸部の市を襲った複数の津波を検証していた。市職員、テレビ局、消防団員らが別の地点から撮影していた動画を紡ぐことで徐々にではなく突然、海面が上昇する様子を視覚的に示し、人がいかに巨大津波に対し無力であるかを証言と共に伝えた。テレビ局の垣根を越えた連携プロジェクトと聞き、刺激を受けた。新聞を含めたマスコミが協力し、震災の記憶を未来へ紡いでいく意義を改めて強く感じている。(輝)









