樽前山(1041メートル)が23年ぶりに小噴火したのは1978年。火口原で最初の降灰が確認されてからしばらく、苫小牧民報社は記者を毎日2人、7合目に派遣した。
活火山・樽前の最新の動静や火山学者たちの活動を読者にいち早く伝えるためだ。ヘルメットを用意して朝から夕方までヒュッテ付近に待機し、研究者らと共にA火口(当時は噴気口)付近まで登り、話を聞き、写真を撮影した。報道陣の中には火山灰と汗にまみれながら、背広と革靴姿で火口原まで登る人もいて驚いた。晴れた日、みんなで座って昼食のおにぎりを食べながら、質問したことを覚えている。「今、噴火が始まったらどうやって逃げればいいんでしょう?」。学者氏は数百メートル南側の外輪山を指さし「あそこまで走って外側に伏せるんだろうねェ」。体力はあったが噴火の恐ろしさを想像する力も知識もなかった。「まさか」のよろいを着て汗を流していただけだ。
1991年6月3日に雲仙・普賢岳で大火砕流が発生してから満30年がたった。岩を含んで高温、猛速で流れ下る火砕流に襲われた43人が命を失い、行方不明になった。犠牲者のうち16人は避難勧告区域内の「定点」で取材していた報道関係者。4人は送迎のタクシー運転手。12人の消防団員は見回りや避難の呼び掛けをしていたそうだ。30年経過の報道を読みながら自分たちの取材はあれでよかったのか考えた。晴れ上がった樽前山を見て、改めて反省した。(水)









