白老町虎杖浜のポンアヨロ川にかつてあった漁業者の集落を写した古い写真が、虎杖浜の民家から見つかった。90年以上前の昭和初頭ごろに撮影されたものとみられ、川沿いでタラを天日干しする風景を捉えている。明治以降、”越後衆”と呼ばれた新潟県出身者が移り住み、虎杖浜地区の水産業の礎を築いた歴史を今に伝える貴重な一枚だ。
写真は、高橋淳一さん(87)がこのほど、家にしまい込んでいた古いトランクの中を整理していた際に発見した。アヨロ海岸を河口とするポンアヨロ川沿いに立つ家屋、かやぶきの倉庫、すき身にするタラの天日干しの光景が写っている。残雪もあることから早春の風景らしい。写真を貼った台紙には、室蘭市の写真館の名前が記されており、プロのカメラマンが撮影したとみられる。
写真は高橋さんの母親で、2007年に96歳で死去したハルノさんが1931(昭和6)年に結婚した時、嫁入り道具と一緒に持参した。「集落の一部を写したもの。実家から離れても、生まれ育った土地を忘れないでほしいと、親が持たせたのでしょう」と高橋さんは推測する。
ハルノさんの父親は新潟県北蒲原郡の出身で、1895(明治28)年、ポンアヨロに最初に移住し、漁業を始めた宮森太惣八さん。宮森さんに続くようにその後、同郷の人々が地縁血縁を頼りに次々と移り住み、漁業に従事した。谷間の川沿いには、河口から上流に向かって家屋が立ち並び、昭和初期には35戸を数えた。河口の船着き場では魚が日々水揚げされ、毎年8月の神社祭りもにぎやかに催されるなど集落はひと頃、活気にあふれた。
綱元として集落を率いた宮森さんは大正時代、当時画期的だった焼玉エンジン付きの漁船を導入。底引き網漁も取り入れるなど、虎杖浜地区の水産業発展に大きく貢献した。しかし、時代の移り変わりに伴い、ポンアヨロから人々が徐々に離れていった。1983年の豪雨による川の決壊を契機に、わずかにいた住民らも土地を後にし、集落は消えた。
虎杖浜地区を水産のまちとして発展させた新潟県からの移住者。白老町の無形民俗文化財に指定されている郷土芸能・虎杖浜越後盆踊りなど、新潟文化が今も地域に継承されている。白老の歩みに詳しい仙台藩白老元陣屋資料館の武永真館長は、集落の写真について「新潟県人の漁業移住という歴史を知る上でも貴重な一枚。今では信じられない光景だ」と話す。






















