防災に問われるのは記憶力と想像力という。大雨が毎年、山を削り堤防を壊して流れる国。熱海の惨状を見ながら、私たちは何を記憶し想像して次の災害に備えるか。
仕事柄、地震でも台風でも被災の現場に近づくことが多い。自分の災害の記憶の基点は、1981(昭和56)年8月の「56水害」だと思っている。もう40年前のことになる。静内町(当時)の支局に勤務していた。
上旬と下旬の2度、北海道付近に停滞していた前線に台風が湿った空気を送り込み大雨を降らせた。記録的な雨量は「500年に1度」と表現された。石狩川流域や千歳川、漁川下流部の洪水被害が大きかった。日高管内では、海沿いにつらなる大小の市街地や国道235号、国鉄日高線(同)が、海岸段丘の斜面の崩落に襲われた。土砂や岩、立木が次々と崩れ落ちたのだ。帰省していた、東京で働く青年と、空港まで送る友人の車は、前後を走る車とわずかな時間差で崩落現場に差し掛かったはずだ。そして、一瞬で土と岩にのまれた。翌朝収容された、泥で覆われた無残な遺体の様子を何十年たっても忘れない。
土石流が熱海の市街地を猛速で駆け下って1週間。自衛隊員も加わって行方不明者の捜索が続く。雨が捜索を難しくしている。きょう朝は、線状降水帯が発生した鹿児島、宮崎、熊本3県に大雨特別警報。テレビからアナウンサーの緊張した声が響く。北海道も油断はできない。40年前の夏を思い出す。(水)









