やっぱり、日本の選手が活躍すると心を揺さぶられる。下手をすると涙腺まで崩壊してしまう。東京五輪は始まったばかりだというのに、日本のメダルラッシュに熱くなる。「復興」や「おもてなし」という招致段階での理念や目的は大きく変わっても、スポーツの力は健在だ。
シナリオがないから、アスリートは集中し、覚悟をもって力を振り絞る。勝敗は付いてもその純粋な姿が感動を呼ぶのだろう。スポーツに関心のない人にも分かりやすく、説明が付く。
こうした説明が付かず、責任の所在や組織の在り方が問われているのも、東京大会だ。そもそも五輪の最高責任者は誰なのか。国際機関ではなく、NPO(非営利団体)にすぎない国際オリンピック委員会(IOC)の会長か。開催都市の知事なのか、組織委員会の会長、それとも開催国の政府。
今回はさまざまな問題が生じるたびに責任の所在は変わり、説明されないままに物事が進んできた。
こうした姿勢が国民を不安にし、時に分断を生んだ。バドミントンの奥原希望選手が、初戦を快勝した後に「国民の皆さん全員に支持されない五輪に考えることはある」と複雑な胸の内を吐露した。
五輪の意義は何なのか。答えを出せずに大会は進む。せめて運営側が強いメッセージを発するべきだった。夢舞台で輝くアスリートを見て、なおさらに思う。(昭)









