7年前の正月、車いすに乗って過ごした。病院内の平らな廊下を移動してトイレや自動販売機を利用する程度の車いす生活だから危険も移動の限界も経験していない。
初めての車いすは、廊下やテーブルの角によくぶつかり、そのたびに後退して前進し直さなければならない。トイレにはたくさん手すりがあり乗降の不便はなかった。手術後とはいえ脚力は落ちておらず腕も大丈夫。退院と同時に「歩く生活」に戻ったから、段差だらけの自宅玄関や屋内の不便、電柱や自動車にふさがれた狭くて傾斜付きの歩道の怖さ、路地を走り抜ける自動車の恐ろしさは知らない。だから「車いすが分かる」などとはまったく思っていない。
「東京パラリンピックが開かれていたことがうそのように、メディアや世間の関心はほかの世事に移っている」。数日前の全国紙に、そんな書き出しの文章があり、考えさせられた。2012年のロンドン大会の後も同じだったそうだ。大会の1年後に障害者団体が約1千人を対象に行った調査では、81%が障害者への態度は変わらず、22%は、かえって悪くなったと答えたという。鍛錬のつらさを想像し、競技の熱気や勝敗に感動はできる。しかし、障害を持つ人たちが経験してきた決断の大きさや、背負う未来の重さを想像し続けるのは難しいようだ。
五輪やパラリンピックの決算を先延ばしのまま自民党総裁選が告示された。選挙後は組閣、総選挙、そしてコロナ―。(水)









