10年前の3月、東日本大震災の直後、全国から被災者に寄せられた「頑張れ」の声に対する被災地の声が報道されて、打ちのめされた。
「これ以上何を頑張れと言うのか」。どろどろの津波に何度も襲われて家族や友人、知人を失い、目には見えない放射線に追われて故郷や家に帰ることができなくなった人たち。そんな経験をした者と、経験しなかった者との間にそびえ立つ壁の、高さと厚さに気付かされた。
福島県浪江町の、福島第1原発の北5キロ、海岸から約300メートルの所にある請戸小学校の校舎が県内初の「震災遺構」として24日、一般開放された。震災当日は高さ15メートルの津波に襲われ、2階の床まで浸水したが児童や教師ら95人は高台に避難して無事だった。テレビに、家族を失って散り散りになり、10年ぶりに再会した男子高校生2人の笑顔が映った。時計もオルガンも掲示物も、被災時のままの校舎内で、それぞれの名前の書かれた小さな紙を見つけた。くったくのない笑顔にほっとした。
NHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」は29日が最終回。津波にのまれて帰らない妻の死亡届に、友人や息子に厳しく励まされながらようやく印鑑を押す漁師さんが登場した。毎回のせりふがつらかった。「あなたの痛みは僕にはわかりません。でも、わかりたいと思っています」。主人公に求婚する、若い医師のせりふも心に重く残る。被災地や被災者との距離を毎日朝、教えられ、考えた。(水)









