樹齢はどのくらいなのだろう。堂々とした幹の太さや枝ぶりからみて、少なくても数百年はたっていそうだ。白老町の旧竹浦小学校跡にあるイチイの大木は、地域の宝のような存在だ。
1928(昭和3)年、約2キロ先からの校舎移転の際、学校樹のこのイチイも一緒に移した。馬2頭と大勢の大人が大木を引っ張りながら、2日がかりでようやく運び込んだという。新天地に植え替えられたイチイは、戦中戦後にわたり児童を見守り続けた。休み時間に木登りをする子供たちを優しく包み込んだ。今も学校の周りに暮らす人に限らず、町を離れた卒業生にとっても思い出深く、掛け替えのないふるさとのシンボルだ。
歴史ある建物や樹木、伝統の行事、産業と、文化財などに指定されていなくても、日常の中で大事にされたまちの財産はいろいろとある。時代の移り変わりで失ってしまったものも多いけれど、人の記憶と土地の物語が詰まった宝と気づき、改めて光を当てる努力は住民同士の心の絆も強めることだろう。
旧竹浦小に残された財産はイチイの大木だけでない。昔から校舎にあった大きな姿見もそうだ。住民らは旧校舎に置き去りにされていた鏡を後世につなぐため先日、近くの公共施設に移した。縁のない人には単なる年代物。だが、住民にとっては誇りそのものだ。地元に目を向け、固有の価値を見つけ出す。そうした行為が地域の子供たちの郷土愛も育むはずだ。(下)









