ノルディックスキー・ジャンプ男子は6日、個人ノーマルヒル(HS106メートル、K点95メートル)が行われ、小林陵侑(土屋ホーム)が275・0点で金メダルを獲得した。1回目に104・5メートルを飛んでトップに立ち、2回目は99・5メートルで順位を守った。
日本勢の金メダルは今大会初めて。ジャンプで日本勢の優勝は、船木和喜が個人ラージヒルを制し、団体(岡部孝信、斎藤浩哉、原田雅彦、船木)でも金メダルに輝いた1998年長野五輪以来で24年ぶり。個人での金メダルは72年札幌五輪70メートル級の笠谷幸生、98年の船木に続き史上3人目。雪上競技の日本勢の金メダルも24年ぶり。
兄の小林潤志郎(雪印メグミルク)は27位。1回目で32位の佐藤幸椰(雪印メグミルク)、38位の中村直幹(フライングラボラトリー)は2回目に進めなかった。
5日は個人ノーマルヒル女子が行われ、日本勢は前回平昌大会銅メダルの高梨沙羅(クラレ)が224・1点で4位だった。1回目は98・5メートルで5位につけ、2回目に100メートルを飛んで順位を上げたが、2大会連続メダルは逃した。
伊藤有希(土屋ホーム)は13位、勢藤優花(北海道ハイテクAC)は14位、岩渕香里(北野建設)は18位。
― 歓喜の 大ジャンプ 難しい台問題にせず
上位の選手もなかなか飛距離が伸びない1回目。最後から2番目に飛んだ小林陵は、着地寸前でふわりともうひと伸びするような独特のジャンプで104・5メートルをマークした。飛型点も抜群の美しいフライトに、両拳を握って喜んだ。
2位とは距離にして3メートル強の差。夢見てきた金メダルが目の前にちらつく2回目も、重圧を感じさせない飛躍だった。優勝が決まると、兄潤志郎らチームメートと抱き合って歓喜。大舞台につきものの選手を狂わせる「魔物」の存在を感じることもなく結果を出し、「僕が魔物だったかもしれない」と笑った。
五輪のために造られた張家口のジャンプ台。比較的緩やかな助走路で高い飛行曲線を取りにくい形状のため、大きな浮力を受けて気持ち良く飛ぶことが難しい。各選手が適応するのに苦しみ、小林陵も練習後には「得意ではない」と言っていた。だが、現地入りしてからの練習や予選の計7本で調整はできていた。
適応力こそ、気象条件にも左右されるジャンプ競技で勝ち続けるのに必要な能力。出場した50人の中でただ一人、本番直前の試技を飛ばなかったところに自信が表れていた。「いいイメージがあったし、疲れるからいいかなって」
今大会の日本選手団で金メダル第1号。1972年の札幌五輪70メートル級で笠谷幸生ら「日の丸飛行隊」が表彰台を独占した日からちょうど50年の節目だった。新時代の日本のエースは、今後も数々の偉業に挑んでいくだろう。
―「イメージ通り動けた」―小林陵との一問一答―
北京五輪のジャンプ男子個人ノーマルヒルで金メダルを獲得した小林陵侑(土屋ホーム)との一問一答は次の通り。
―2回のジャンプの内容は。
良かったの一言。2回とも集中してイメージ通り動けた。
―試技を飛ばなかった。
いいイメージがあったし、疲れるからいいかなと思った。
―五輪の「魔物」はいたか。
いや、僕が魔物だったかもしれない。
―自分の飛躍の良さは。
今季は表彰台を争えるような動きをしてきた自信があった。自分を信じ切れたのはよかった。
―所属先の葛西監督の目の前で優勝。
選手として一緒にはできなかったけど、この時間を共有できてすごくうれしい。
―金メダルが決まった瞬間は。
いつもの仲間が隣にいたので、一緒に叫べてうれしかった。実感はまだない。まだメダルを持っていないので。
―この金メダルがジャンプ界に与える影響は。
まだ想像もつかないけど、盛り上がっていくんじゃないかなと思う。
―兄の潤志郎 「信じていた」
▽…小林陵が2回目のジャンプを終えると、勝利を確信した兄の潤志郎が、いの一番に駆け寄り弟と強く抱き合った。「めっちゃ、うれしかった。やってくれて、本当にうれしかった」。最も注目される大舞台で実力を示した弟が表彰台の一番上で喜ぶのを、兄は静かに見守った。
小林陵がジャンプを始めたのは、潤志郎が実家につくったジャンプ台で練習していた姿に刺激を受けたから。ワールドカップ優勝は潤志郎の方が早かったが、兄の活躍に背中を押されるようにして、小林陵は世界一のジャンパーに成長した。
「やってくれると信じていた。スキー界やジャンプ界に新しい歴史をつくってくれた」。潤志郎は誇らしそうに言った。
― まな弟子の金メダルに涙、葛西「本当に幸せ」
小林陵の所属先、土屋ホームで選手兼監督を務める葛西紀明は、テレビ局の解説者として金メダルの瞬間を見届けた。「たまっている涙が、全部出た。目の前でまな弟子が金メダルを取れるなんて、本当に幸せ」
ワールドカップ(W杯)で優勝していた頃、葛西は本番に集中力を残すため試技を飛ばないことがよくあった。1回目のジャンプを終えた後、葛西は近くを通った小林陵に試技を飛ばなかった理由を尋ねると、「ノリさん戦法です」と答えたという。「その時点で涙がこみ上げてきて…。使ってくれてうれしいなと思った」と笑みを浮かべた。
高校時代に小林陵の才能を見いだし、所属先に誘ったのも葛西。ジャンプ界の「レジェンド」とたたえられる49歳は、踏み切り台への力の伝え方など、百戦錬磨の技術を惜しみなく伝授してきた。「伝説に残る金メダルだと思う。ラージヒルも、全て金を取っちゃうんじゃないか」と、さらなる期待を寄せた。

















