明野中・山岸校長 「恩返しのつもりで頑張る」 白血病、造血幹細胞移植から10年

明野中・山岸校長 「恩返しのつもりで頑張る」 白血病、造血幹細胞移植から10年
「病気を経験し、人との出会いにより感謝するようになった」と山岸校長

 たくさんの人たちの助けで頂いた命―。急性骨髄性白血病を患い、2度の再発に苦しみながら職場復帰を果たした苫小牧明野中学校の山岸弘昇校長(51)は、2012年に道外で造血幹細胞移植を受け、15日で10年になる。山岸校長は「命が助かった」という2月15日を第2の誕生日と呼んでおり、元気に日常生活を送れる幸せをかみしめながら、「残りの人生は恩返しのつもりで頑張ろう」と心に誓う。

 開校して間もない苫小牧青翔中の教諭だった10年5月、39歳で白血病と診断された山岸校長。当時の血液検査では、全身の血液の95%ががん細胞に侵されていたという。

 前年の冬頃から体調を崩しせきや発熱が止まらなかったが、その時は「第1期生を送り出し、緊張の糸が切れただけ」との認識。毎年、健康診断を受けていたが、早期発見にはつながらなかった。

 入院中は階段を1、2段上るだけで息が切れ、ぶつけてもいないのに、両太ももに赤紫色のあざができた。まだ幼い2児の父。「もしものことがあれば、子どもたちの記憶から自分が消えてしまう。それは命を失うよりも切ない」と唇をかんだ。

 抗がん剤治療や手術の過程では献血、骨髄バンクの支援を受けたといい「名前も顔も知らない命のボランティアたちのおかげで今がある」と言い切る。

 その後、2度の再発に見舞われ、HLA(ヒト白血球型抗原)半合致(不適合)血縁者間移植と呼ばれるその頃は主流ではなかった造血幹細胞移植を兵庫県内の病院で受けることにしたが、告げられた5年生存率は30%程度。それでも「生きたい」という気持ちを強く持ち、望みを懸けた。

 退院直後は、両足を閉じても、足の隙間から反対側の景色が見えるほどやせ細った。それでも家族や友人、同僚、生徒ら自分を取り巻くたくさんのたちに支えられながら懸命にリハビリを重ね、14年に青翔中への復職を遂げた。

 徐々に元気を取り戻し、以前から抱いていた「1校を任せてもらえるような存在になりたい」という思いがより強くなった。これまで以上に熱心に働き、16年に教頭職、昨年4月に校長職に昇任。夢を一つかなえた。

 闘病中は、夫婦共に教員でPTAにも励まされたといい、「心を寄せてもらえたことが本当にうれしく、(闘病の)エネルギーになった」と振り返る。

 現在は「自分でも病気だったことを忘れがち」なほど回復。第2の誕生日の15日は、今年も家族でケーキを食べて祝う予定だ。かつての教え子、保護者らに直接会って感謝を伝える機会はなかなかないが「今の生徒や保護者に自分ができる最大限のことをして、恩返しにしていきたい」と力を込めた。

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