スピードスケート女子の五輪金メダリスト、高木菜那(29)が5日、東京都内で記者会見し、現役引退を表明した。「妹がいたからこそ、ここまで世界で戦えた。最後の最後に高木美帆の姉ではなく、高木菜那として氷の上に立てた。それができたことが本当によかった」などと心境を語った。
帯広南商高から日本電産サンキョー入り。五輪には2014年ソチ大会から3大会連続で出場した。妹の美帆(日体大職)とともに臨んだ18年平昌大会では、団体追い抜きで日本勢初の金メダルを獲得。初代女王となったマススタートと合わせ、五輪で夏冬通じて日本女子初の2冠を遂げた。今年2月の北京大会では、団体追い抜きで銀メダルを手にした。
今後は講演活動などに取り組みたいと言い、「第二の人生を考えたときにすごくわくわくした。新しい世界に飛び込んでいきたい」と意欲的に話した。
3月のワールドカップ(W杯)最終戦後に引退を示唆し、同月末に所属先だった日本電産サンキョーのスケート部は廃部となった。
現役引退を表明した高木菜那との一問一答は次の通り。
―引退を決めた理由は。
スケートと同じくらいにやりがいのあることをやりたいと心から思えた。今年は自分を信じて攻めたレースができた。つらいことの方が多いスケート人生だったが、最後に頑張ってきてよかったと思えた。
―まだ戦えるのでは。
スピードスケートという競技は強い覚悟がないとやっていけない。今季は相当な覚悟を持って取り組んだが、それ以上の覚悟がないと速くなれないと感じた。
―妹美帆の存在は。
妹がいたからこそ、ここまでスケートを続けることができた。つらいことや乗り越えなきゃいけない壁はたくさんあったが、それがなければ今の高木菜那はいなかった。妹が妹でよかったと心から思う。
―印象に残るレースは。
うれしかったのは平昌五輪のパシュート(団体追い抜き)、マススタートの金メダル。みんなでガッツポーズができた。北京五輪はすごくつらかったが、チームのありがたみや仲間の大切さを感じ、どちらも心に残る五輪だった。
―小さな体で戦った。
身長を言い訳にしたくなかった。小さくても、頑張れば目標を達成できる。引退後はそういうことで悩んでいる子どもにも伝えていけたら。

















