大志

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 その高校の入学式は71年前、1951(昭和26)年の4月3日に行われた。校舎はなく中学校の校舎の一部を間借りしての開校だった。

 高校の名前は村立穂別高等学校。当時は定時制課程普通科。新入生は1年生40人と2~4年生に編入した32人。一般の生徒のほか役場の村長や助役、収入役、課長、職員。農協の課長や職員。国鉄穂別駅の助役も聴講生として名を連ねたという。

 開校の経緯は、2014年6月に卒業生有志が発行した「穂別高校 草創期の教師たち」に詳しい。高校進学は札幌や苫小牧、室蘭の高校の寄宿舎などに入ることのできる者にしか許されていなかった時代。村立高校の開校をどれだけの若者が待っていたか。入学者の多さは、村民の期待の大きさの表れだ。

 初代の民選村長、横山正明氏が札幌の書店で見つけ穂別への帰路、汽車の中で読んだ、テネシー川流域総合開発計画が大事業の基になったといわれる。治水を兼ねた村営のダムと発電所を造り、揚水ポンプで水田面積を増やす。余剰電力を売って村立病院を建設、高齢者の医療費を無料にする。人材は授業料無料の高等教育施設を整備し、自前で育てる―。若い教師たちが全国から集まり給与の遅配にも耐えて壮大な事業を支えた。

 道教委が7日、穂別高校の25年度募集停止案を発表した。改めて「穂別高校―」を開き、先人たちの志を学んだ。減反、鉄路の廃止、そして少子化。襲いかかる波の高さを思った。(水)

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