暗唱できる詩は多くない。初めて覚えたのは卒業した中学校のグラウンド端、市街地を見渡せる所にあった詩人浅野晃の歌碑。秋なれば 山ちかぢかと見えて来ぬ なつかしき山 見えて来にけり。
下校時など、無礼にも石碑に腰を掛けて過ごした。今でも詩をそらんじることができるのはおわびのつもりなのか。この数日は村立の高校をつくった故郷の往時の村長、横山正明氏が、まちづくり計画書の表紙に掲げたという詩が頭の中をぐるぐると巡っている。「神の住む 美しき村、つくらん― 智性! 智性と美わしき感情で 村はそだたん」。石碑は神社近くの公園に1983年、町制施行20年を記念して建立された。見たのは数度だが、91年発行「新穂別町史」の写真に写る言葉の幾つかが心に深く刺さっている。
戦後の財政難の中で、なぜ村立高校の開校や自前の発電所建設、村立国保病院の建設と高齢者医療費の無料化などの大事業に、全国の自治体よりも数十年も早く取り組むことができたのか。石碑を見ながら考えた。
道教委は7日、穂別高校の2025年度募集停止案を公表した。地元では寂しい、残念、仕方ない―の声が複雑に交錯しているようだ。卒業生有志らが15年に発行した「穂別高校 草創期の教師たち」の続編を読むと高校が存廃の危機に立つのはこれが3度目。来月から道内19学区ごとの地域別検討会議が始まり、9月に正式決定する。美しき村の今と行方を考える。(水)









