高齢

高齢

 20年ほど前の勤務地で聞いた議会の質問。「窓口の職員が市民を、お父さん、お母さんと呼ぶのはやめて。名前で呼んで」と議員の提案。育てた覚えのない人からの、軽々しい親扱い。年齢を重ねて不快の意味が改めて伝わる。

 いろいろな職種で接遇講習が行われ、この種の言葉は減ったと思うが、不適切な言葉の選択はいろいろな場面で見られる。舞台はきっと行政機関や商業施設ばかりではない。家庭内の会話でも、返事が聞こえないなどささいなことから、厳しい非難の応酬に発展したりもする。

 新聞などを読みながら、考え事をしていることが多い。話し掛けられた内容どころか声が聞こえていないこともしばしばある。そんな時に「返事ぐらいして」と苦情を告げられる。時にはこちらの認知能力や聴力の欠陥を確認したかのように強硬な抗議を受けることもある。確かに現象面ではボーッとしているようにしか見えないのだから仕方がないのだが、つい「用件なら明瞭に!」と注文を付けて、紛争に油を注ぐことになる。

 きのうの全国紙に「65歳以上の高齢者の6人に1人、推計602万人が認知症」の記事。自分の年代のことだ。母が認知症の診断を受けたのは80代。何かを思い出せない時や決められなくなった時「情けない」と涙ぐむこともあった。「忘れても大丈夫だよ」と子どもが記憶を引き受けたら落ち着いた。高齢化社会の会話は適切な言葉と音量で。「何か言ったか?」。(水)

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