先日、苫小牧市内の病院の待合室でのこと。幼児が大声で泣き始めた。母親や看護師さんがあやすものの、泣き声は大きくなるばかりだ。病院には体調の悪い人が集まっている。母親は周囲にどれほど気を遣っていることだろう。
かなり以前に何かで読んだ、東京のバスの車内放送の話を思い出した。バスが混み、赤ちゃんが火がついたように泣き出した。若い母親が途中下車を申し出ると運転手さんが車内に呼び掛けたそうだ。「子どもは泣くものです。赤ちゃんは泣くのが仕事です。お母さんは、迷惑が掛かるので降りると言っています。皆さん、少しの間、一緒に乗せてくださいませんか」。すると一人が拍手、やがて拍手は車内に広がったそうだ。優しい車内放送が、冷たい視線や舌打ち、ため息におびえる母親をどれだけ力づけたことか。インターネットで探すと「忘れられない車内放送」で検索できた。
自分は診察待ちで下を向いて本を読んでいた。泣き声を聞きながら、子育ての頃の子どもの夜泣きと、妻が数十年後に言った「毎日毎日、眠くてつらかったなァ」という言葉を思い出して、反省していた。子どもの泣き声は場所が移り、こちらが診察を終えた頃にはもう聞こえなかった。母親と幼児は笑顔を取り戻せただろうか。何もしなかった反省がまた一つ増えた。
少子化の対策は教育や保育の充実、職場の対応など仕組みの見直し以外にもきっと、ある。思いやり、分担、支援―。(水)









