今夏も雑草との戦いが続いている。種類豊富な庭草たちは炎天下、成長期をアピールするかように何度抜いても、刈っても繁殖をやめない。まさに雑草魂だ。
昨年、業者に頼んで不要な庭木や石をすべて撤去した結果、戦場は一気に拡大した。雨は雑草にパワーを与えてしまうから一晩たってもやまないときには、部屋の窓から庭に向かって「早くやめ」と念を送る。
特に厄介なのは、抜くと根っこが土をごっそりと持ってくるイネ科の草。体力は消耗するし、庭も穴ぼこになる。愛犬が走るから除草剤は使えない。一念発起し、草刈り機を買った。これが優れもので、1時間ほどの作業で驚くほどきれいになる。しかも刈るのは楽しい。以前の苦労がうそのよう。戦いには勝った…が、どこかむなしい。半日がかりの手作業で得られた達成感がない。もっと言えば庭の細部に宿るキラキラ感、気持ちが行き届いた感じが失われた。たかが草刈り、されど草刈りなのだ。
気持ちがこもった仕事は何かが違う。機械的にこなした作業にはない、不思議なクオリティーを生むとでも言うべきか。便利な世の中。道具やサービスが充実し、それ相応の対価を払えば楽はできる。だが、効率ばかりを追求して肝心なひと手間を惜しむようになると、どこかにほころびが出る。あらゆる仕事に言えることかもしれない…というわけで、鎌や熊手もレギュラーでの現役続行となった。(輝)









