盆

 家族の最期が近づいた時、目を閉じるまでの時間はどんなふうに過ごすものなのだろう。知人の葬儀で聞いた長男のあいさつを思い出す。何年たっても胸が熱くなる。

 毎日、夜になると、父の病室に家族が一人、また一人と集まったそうだ。ベッドの周りに椅子を持ち寄って座り、こんなことがあった、あの時はこんなことを言っていた―と、思い出を話し合ったという。明るい父だったが、年齢とともに仕事が忙しくなり、家族で何かをして過ごす時間が減っていった。そんな空白を埋めるように、亡くなるまでの時間を、父を中心に過ごしたそうだ。「思えば、最も幸せな時間だったかもしれません」。そう締めくくられたあいさつが何年たっても耳の奥から消えない。言葉の背景には必ず故人の明るい笑顔が広がる。

 新型コロナウイルスの感染拡大が、医療や高齢者施設で治療を受け療養する人と家族との関わりを変えてしまった。会いたい、声を聞きたい―。求めても感染の防止が優先される。仕方のないことなのだが、心のどこかでは納得がいかない。国内の死者数は3万3千人を超えた。突然訪れた別れの数の多さ。

 広島への原爆投下から77回目の8月6日。テレビで平和記念式典を見ながらロシアの核使用の脅しの意味を改めて考えた。世界規模で広がる新型感染症の脅威を思った。盆が近い。せめてコロナで旅立った人たちが私たちの顔を忘れずに帰ってきてくれますようにと祈った。(水)

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