77年前の1945年8月15日、昭和天皇は「戦争終結の詔書」を読み上げ、米英など連合国への無条件降伏を受諾。その様子は玉音放送として国民に知らしめられ、歴史の大きな転換点を迎えた。
第2次世界大戦で戦地に散った日本の軍人・軍属や、空襲で命を落とした民間人など戦没者は約310万人とされる。苫小牧でも終戦1カ月前、米軍機の空襲を受け、死者4人、重軽傷者6人を出した。当時は米軍機が飛来するたびに、空襲警報が鳴り響き、戦争の恐怖が身近なものとして存在した。
今、日本の人口の86%が戦後生まれで、自分も含めて戦争に関わった経験はない。「反戦」「平和」の言葉の重要性は十分承知していても、どこか実感が湧かずにいた。しかし、2月のロシアによるウクライナ侵攻を通じて、一瞬にして日常生活が破壊される戦争の恐ろしさが改めて認識させられた。銃器や砲弾による犠牲は悲しいが、真に怖いのは、戦争加担よって虐殺、強盗、婦女暴行など人間性を失するような常軌を逸した非道行為が何のためらいもなく行われていることだ。
第2次大戦では、難攻不落の要塞とされたサイパン島陥落や特攻隊出撃に、戦争継続の愚かさや民族滅亡の危機から早期終結を指摘する声もある中、「一億試練の時」「勝機把握は今、一億特攻に徹せん」などと国民の戦闘意欲をかきたてる報道も目立った。終戦の日は、新聞の「自戒の日」でもある。(教)









