非核の願い

非核の願い

 この時期になると思い出す言葉がある。「黙っていては伝わらない。それぞれの立場で発信し、素晴らしい未来を」。もう20年も前に広島の語り部だった沼田鈴子さんが、苫小牧での講演会で締めくくった言葉だ。

 沼田さんは勤務していた広島の逓信局で被爆。建物のがれきの下敷きになり、そのけがが原因で片足を失う。しかも麻酔なしでの切断。まだ20代。壮絶な体験に絶望し、苦しんだ。

 そんな沼田さんを救ったのは逓信局の中庭で、被爆しながら懸命に「新芽」をつけたアオギリだ。後に沼田さんは、このアオギリの下で語り部を始め、世界中で平和を訴えた。アオギリの苗木や種を贈る運動も始まり、苫小牧でも講演会を機に沼田さんから渡された「種」が大事に育てられている。

 苫小牧市非核平和都市条例が施行されてから、今年で20年。恒久平和と核兵器のない平和の実現へ努力していく内容だ。道内では唯一、全国でも例が少ない条例の実現に道筋を付けたのは、沼田さんと同じ「市民」の力だった。だが、当時より核をめぐる環境は激変した。

 ウクライナ危機ではロシアが核戦力による威嚇を繰り返す。米国の「核の傘」を含む拡大抑止に依存する日本で急速に核や防衛力強化をめぐる議論が活発化している。日本が核の傘を差す時の責任は。難しい問題を抱えながら戦後77年。今の動きを沼田さんはどんな言葉で説得するのか。聞きたかった。(昭)

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