都市対抗

都市対抗

 1989年7月31日の東京ドーム。全国の社会人チームが競う都市対抗野球大会決勝で戦ったのが白老町に拠点を置く当時の大昭和製紙北海道だ。そのベンチで采配を振るったのが斎藤勲監督。高校野球で甲子園に出場した選手なんて一人もいない雑草チームを、頂点を争う舞台にまで導いた。

 都市対抗の常連とはいえ、前評判は高くない。足を絡めたスピード野球を展開し、相手投手対策で打順を変えた選手が長打で応える。斎藤采配は随所で決まる。快進撃は続いた。あの米メジャーリーグへの道を切り開いた野茂英雄さんや、プロ野球広島カープ監督の佐々岡真司さんのチームを力でねじ伏せた。

 新人記者として胸のすく思いで取材した。都市対抗の良さを体験したのも忘れられない。チーム紹介でドームに響く「白老町代表」のアナウンス。鳥肌が立つ。町代表の出場チームはほとんどない。大昭和は「わが町」の代表で、選手も口々にしたのは「町民に支えられている」。

 だから応援の熱もすごい。会社関係はもちろんだが、交流のある自治体関係者までドームに足を運ぶ。高校野球の甲子園球場のアルプススタンドにも似た雰囲気がそこにある。決勝でこそ敗れはしたが、都市対抗の意義や懸ける思いを教えてくれたのが指揮官だった。

 そんな斎藤さんは先月下旬に亡くなられた。本道社会人野球界の最後の闘将だった。大昭和以降、都市対抗の決勝まで進んだ本道のチームはない。(昭)

関連記事

最新記事

ランキング

一覧を見る

紙面ビューワー

紙面ビューワー画面

レッドイーグルス

一覧を見る