「安保政策大転換」「『反撃能力』保有明記」「戦後日本の安保転換」―。ここ数日、報道にこうした見出しやタイトルが並んだ。岸田政権が国家安全保障戦略など安全保障3文書を改定したことの報道だ。転換は「反撃能力」を指す。以前は「敵基地攻撃能力」と言った。先制攻撃のニュアンスを出さないように正式に変更した。表現を変えても、太平洋戦争の悲劇と辛酸から学習した戦争放棄と自衛のための最小限の防衛力の枠をはめた「専守防衛」から確かに踏み出した。
節目となった決定なのに議論は主に与党内にとどまった。しかも防衛費の増額と増税がセットになり、本質的な議論が棚に上がった感もある。野党も国民も巻き込んだ議論がもっとあるべきだった。増税と国債の双方を財源とするならなおさらだ。
集団的自衛権の行使を容認する閣議決定は2014年。政府自ら「憲法上、許されない」としていたものを、時の安倍内閣が憲法解釈を変更して突き進んだ。安保関連法は違憲を訴える訴訟が各地で行われている。加えて専守防衛、財源に国債を使わない枠を外せば、隣国が強大である以上、抑止力としての武力の増強に歯止めはなくなる。
核保有国ロシアのウクライナ侵攻に終わりは見えない。戦況が不利になるたび核の脅しも始まる。ロシアに正義があるとは思えないだけに国際社会の無力さにいら立ちが膨らむ。最小限の防衛力とは。悩ましいからこそ議論不足に不安が募る。(司)









