敏感に

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 旭川市は6月末、地元中学生のいじめ凍死事件を機に市いじめ防止対策推進条例を施行した。くしくも同月は、いじめ防止対策推進法が成立して10年目。法ができても、深刻ないじめは依然として存在し続けていることを物語った。

 苫小牧市でも約30年前、いじめを苦にした生徒の自殺が同じ中学校で2年続いた。後年、級友の1人は社会人になる年頃になって「本人がどんなに苦しんでいたのかと思うと悔しい。時には人に対して敏感になることが必要」と学校行事で後輩にメッセージを寄せている。

 いじめられて「嫌だ、やめて」と声を上げる子は少ない。加害者以外に教室にいるのは、はやしたてるか無関心を装う級友だけだからだ。大人から「いじめられていない?」と声を掛けられ、正直に言う子も同じだ。差別されている自分を知られたくない、親に心配をかけたくない、話したと加害者に知られて報復されたくないなどの理由からだ。大丈夫そうな顔や言葉をうのみにはできない。

 悪口を言われ、仲間外れにされ、暴力を受け、傷つかない者などいない。なのに何十年啓発を重ねてもいじめが減らないのは、それを分かる人が減ったということか。「人に対して敏感になること」という言葉の意味は深くて重い。(林)

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