戦後に千島列島で起きた「シュムシュ島(占守島)の戦い」で、侵攻するソ連軍と戦った旧日本陸軍の戦車第11連隊を祭る慰霊碑が今夏、陸上自衛隊第7師団の司令部がある東千歳駐屯地(千歳市)に移設された。同連隊を率いてこの戦いで命を落とし、「戦車隊の神様」とも称された池田末男連隊長の孫、杣谷少菜子(そまや・すくなこ)さん(55)=東京在住=が貴重な資料と共に寄贈した。第7師団は史料館で一般公開しており、「戦後に日本を守る戦いがあったことを、国民に広く伝えていきたい」と話している。
慰霊碑は、池田連隊長の三十三回忌に当たる1977年、遺族の意向で愛知県豊橋市に建立された石碑。縦60センチ、横100センチ、幅10センチで、表面は「将兵眠る」の文字を、裏面は45年8月18日にソ連軍の占守島上陸を受けて同連隊が突撃することを司令部に連絡した「打電文」をそれぞれ刻んでいる。打電文は「池田連隊は直ちに敵に突入する」と決死の覚悟を伝えた上、「祖国の弥栄(いやさか)を祈る」と遺言で締められている。今夏、東千歳駐屯地の史料館中庭に移した。
杣谷さんは、慰霊碑を管理していた親族の死去を受け、寄贈を決断したという。インターネットで「北海道 戦車」などと検索し、戦車部隊を中心とする陸自唯一の機甲師団・第7師団にたどり着いた。史料館は旧日本軍の資料も豊富に収め、占守島の戦いなど史実を再現した戦車戦ジオラマなどを展示することで、国防の重要性を伝えていることから、慰霊碑も未来永劫(えいごう)引き継ぐことにした。
慰霊碑と共に、池田連隊長の写真や名刺などの遺品、45年夏に撮影されたとみられる占守島の写真など資料約300点も寄贈。杣谷さんは「日本の未来の平和を願い、強い説得力と責任感で戦った彼らの意思を、教材や資料として活用してください。日本の今があるのは彼らが生きた証し」などのメッセージを手紙で寄せた。
史料館は写真パネルや特設コーナーを新調し、訪れた人に自由に見てもらえるようにした。史料館長の花田義将さん(49)は「貴重な資料ばかり」と強調し「自分も『戦車乗り』として、一人でも多くの方に、先人の思いを伝えたい。戦後に北海道を守った戦いがあったことを、多くの方に知ってもらえれば」と話している。
史料館は平日午前9時~午後4時。入場無料だが、事前の申し込みが必要。希望日のおおむね2週間前までに予約すればよい。問い合わせは第7師団司令部総務課 電話0123(23)5131。
占守島の戦い 戦後に発生した日本軍とソ連軍による戦い。1945年8月15日に日本がポツダム宣言を受諾後、ソ連軍が千島列島北端の占守島に侵攻したことで発生した。同18日未明にソ連軍が占守島に上陸し、同島を守備していた11連隊が迎撃し、池田連隊長は同日に戦死した。戦いは日本側の優位で推移したが、21日の停戦成立により終結。4日間で日本側を上回る損害をソ連側に与えたことで、北海道への侵攻を食い止めた戦いともされる。
















