「侍のような人だった」

「侍のような人だった」

 笠谷幸生さんが快挙を遂げた札幌五輪でアルペンスキー代表だった古川年正さんは「侍のような人だった」と故人を悼んだ。全日本スキー連盟(SAJ)で古川さんは、強化トップの競技本部長の笠谷さんを支えた。「人に任せると言ったら口を出さない。おべんちゃらもうそも言わなかった」と在りし日の金メダリストを思い起こした。

 笠谷さんはバンクーバー五輪で日本選手団の副団長。SAJ所属選手の服装の乱れや態度が問題化すると、辞任して帰国すると申し出た。「とにかく責任感が強いというか、役職にしがみつこうというのはない。自分の功績を人生に生かそうなんて思わない人だった」

 当時から肺の病気を患い、近年は療養中心の生活だった。時折電話をしていた古川さんが最後に話したのは3年ほど前。笠谷さんは「体調はよくないが、散歩はしている。(声が出にくいので)発声練習をしている」と近況を語ったという。

 口数が少なく、人付き合いが多いタイプではなかったが、大の酒好き。札幌五輪でも選手村の部屋には笠谷さんの所属企業だったニッカのウイスキー瓶が何本かあったのを古川さんは覚えている。「笠谷さんみたいな金メダリストは出てこないのでは。今思うと懐かしい」と語った。

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