明治に入り北海道では、道路や鉄道建設などの開発に向け、正確な地図が必要になる。開拓使は当時最先端であった三角測量法を使った北海道地図の作成を計画。
1873年3月、アメリカ人技師ジェームズ・アール・ワッソンを測量長に迎え、荒井郁之助ら日本人技師たちも加わり地図作りを開始する。測量の礎となる「基点」を、海岸地域で見通しの良い勇払と鵡川に設定し測量を開始した。
翌年4月、ワッソンは陸軍省に転じたため、助手のモルレー・エス・デーが引き継ぎ測量を続ける。デーは天文測量を取り入れ、勇払と鵡川の基点を結ぶ約15キロを「基線」として設定する。両基点に高さ12メートルの目標台と標塔を建て、これを基に道内沿岸部を3年にわたって測量した。
測量結果は「北海道三角測量報文」として、1876年ニューヨークで出版され、翌年和訳され開拓使から刊行された。
現存する基点の発見は奇跡的
1962年6月、勇払地区の人々が勇払中学校に隣接する土の中から、中央に銅のボルトの付いた標塔の一部を奇跡的に発見。勇払基点の存在が確認された。「勇払基点は北海道史のみならず、日本の三角測量の先駆をなした貴重な史跡です」と勇武津資料館学芸員の武田正哉さんは話す。
現在は勇払ふるさと公園の一角、ガラスケース内に保管された実物の基点を見ることができる。鵡川基点の存在については、長年調査が行われたが不明のままだ。
勇払と鵡川間の開拓史三角測量勇払基線は、わが国における基線測量の起源であることが評価され、2016年度土木学会推薦土木遺産に認定されている。かつて苫小牧地方の中心であった勇払には、私たちの生活に不可欠な正確な地図の原点があると言える。
(通信員 山田みえこ)
【メモ】
1967年3月17日指定
所在地…苫小牧市勇払132の49
管理者…苫小牧市教育委員会



















