戦地からの父のはがき 60通以上、娘らが厚真町教委に寄贈

清吉さんの遺品と寄贈した(前列左から)由美子さん、富美子さん、真由美さん

 「由美子ちゃん 父さんが居ないので母さんと一緒に寝て居るのでせう 富美子ちゃんと美枝子ちゃんと仲良く遊んで居るのでせう」

 戦時中の1944年3月、出征先の中国・天津で病気のため31歳で亡くなった厚真町出身の飛谷清吉さんから家族に宛てたはがきは、離れた妻や子どもたちを案じる言葉であふれていた。

 清吉さんは43年8月に出征。当時、妻スイさん(故人)と5歳の美枝子さん(故人)、3歳の富美子さん(84)、1歳の由美子さん(82)の3姉妹とスイさんのおなかの中に赤ちゃんがいた。

 長女の美枝子さんが今年3月他界し、いずれも苫小牧市に住む娘の真由美さん(64)が富美子さん、由美子さんに遺品の整理を相談。保管されていた木箱を先月、3人で開け、はがきを見つけた。

 木箱は縦35・5センチ、横26・5センチ、高さ17センチ。ふたには立派な筆文字で実家の住所と「北部第二部隊御中 故陸軍上等兵飛谷清吉 飛谷スイ殿」と宛先が記され、戦地から旭川市の部隊に送られ、スイさんの手に渡ったとみられる。

 はがきは60通以上あった。万年筆とみられるインクで丁寧に書かれた文字は妻や娘たちに優しく語り掛けていた。はっきりと判読でき、大切にしまわれていたことが分かる。逆に親戚や友人から清吉さんの下に届けられたはがきや陸軍支給の各種手帳、所属部隊が記した戦死の通知文書、奉公袋などもあり、合わせて90点余りが収められていた。

 町ゆかりの人たちのはがきも大量に残されており、次世代に引き継ぐのも難しいと感じた2人は苫小牧民報社を通じて厚真町教育委員会に相談。町教委が受け入れを快諾したため、真由美さんと富美子さん、由美子さんの3人は11日、厚真町を訪れ、遺品を寄贈した。

 幼かった姉妹に父の記憶はないが、富美子さんは「わたしたちに会いたい、一緒に暮らしたい―とあり、読んでいて胸が詰まった。富美子ちゃん、と書いてくれてうれしかった」と語る。由美子さんは「戦後はとても苦労し、戦争の言葉を聞くのも嫌だ。二度と起こさないために、資料を生かしてもらえたら」と願いを込めた。

 真由美さんは「おばあちゃんも母も本当に大事にしていた物。受け入れてもらえて、とてもありがたい」と町教委に感謝を伝えた。立ち会った厚真町遺族会の加勢敏和会長(86)は「戦争は忘れた頃に繰り返される。次世代に語り継ぐためにも、こうした資料はとても貴重」と話した。

 町教委は整理が終わり次第、軽舞遺跡調査整理事務所に展示する予定だ。

関連記事

最新記事

ランキング

一覧を見る

紙面ビューワー

紙面ビューワー画面

レッドイーグルス

一覧を見る