大相撲の元関脇寺尾の錣山親方が60歳で死去してから一夜明けた18日、日本相撲協会関係者やファンらが次々と東京都江東区の錣山部屋を弔問に訪れ、早過ぎる「鉄人」との別れを惜しんだ。
寺尾は39歳まで土俵を務めた。弟子の阿炎は涙を浮かべ、「鉄人だと思っていたから戻ってくるだろうと願っていた」。堺市での冬巡業から急きょ帰京。最期の瞬間に立ち会い、部屋に戻ってからも安らかに眠る師匠の隣で夜を過ごしたという。
しこ名の「阿炎」は師匠の幼少期からの愛称「アビ」が由来。感謝を口にし、「もう少し見ていてほしかった。師匠を超えるくらいのことをしないといけない」。一層の飛躍と恩返しを誓った。
部屋付きの立田川親方(元小結豊真将)は入門時を回顧。80人ほどいた新弟子を見て不安になっていた際、師匠は「お前はこの中で一番弱いかもしれないが、俺と頑張って一番上に立とう」と励ましてくれた。「相撲への情熱を教わった。弟子たちに伝えたい」と部屋継承への意欲を見せた。
八角理事長(元横綱北勝海)は錣山親方と同じ昭和38(1963)年生まれ。「『花のサンパチ組』として出世を競い合ってきた。回転の良い突っ張りからの真っ向勝負で、何度か苦杯をなめたことも。まだ60歳と若く、部屋の力士の成長を見届けたかったと思う」と故人をしのんだ。

















