サッカーのワールドカップ(W杯)を西ドイツ代表の選手、監督として制し、「皇帝」と呼ばれたフランツ・ベッケンバウアーさんが7日、死去した。78歳だった。ドイツ連盟などが8日に発表した。ミュンヘン出身。
DFでありながら攻撃にも参加する「リベロ」のシステムを確立させた。バイエルン・ミュンヘンとハンブルガーSVでドイツ1部リーグを5度、ドイツ・カップは4度制した。欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)は1973~74年シーズンから3連覇。77年に北米リーグのニューヨーク・コスモスに移籍し、同僚のペレと米国でのサッカー熱を高めた。
西ドイツ代表では72年欧州選手権優勝。W杯は3大会に出場し、66年イングランド大会で準優勝、70年メキシコ大会は3位で、主将を務めた地元開催の74年大会を制した。国際Aマッチ103試合に出場して14得点。72年と76年に欧州最優秀選手賞(バロンドール)を受賞した。
83年に現役を引退した後は指導者として西ドイツ代表を率い、W杯は86年メキシコ大会準優勝。90年イタリア大会では決勝でアルゼンチンを破り、選手と監督の両方でW杯優勝の快挙を遂げた。
バイエルンでは監督としても国内外でタイトルを獲得し、94年から2009年まで会長を務めた。06年W杯ドイツ大会では招致活動からリーダーシップを発揮し、組織委員会会長として大会を成功に導いた。招致活動中の買収疑惑で検察当局の捜査対象になった際は、一貫して不正を否定。国際サッカー連盟(FIFA)理事も歴任した。

















