日本のメダルラッシュに沸いたグラン・パレでの熱戦を締めくくるにふさわしい、「お家芸」の堂々たる戦いぶりだった。敷根は「やっと男子フルーレの努力が報われた」。日本のフェンシングの歴史を切り開いてきた種目で、悲願の金メダル。選手たちは誇らしげに日の丸を掲げた。
1回戦でカナダを難なく退けると、東京五輪で敗れたフランスに同じ準決勝で雪辱した。シーソーゲームとなったイタリアとの決勝は、終盤に突き放し、最後はアンカーを任されたチーム最年少の20歳、飯村が試合を決めた。
東京五輪は松山、敷根を中心に、同世代の選手たちで戦って4位。そこに少し年の離れた飯村が加わるようになり、チームが変わった。「負けていられない気持ちが芽生えた」と敷根。先輩には引っ張っていく強い自覚が生まれ、飯村は「起爆剤となって勢いづかせたい」と遠慮せず下から突き上げた。刺激を与え合ってチームは急速に成長し、国際大会では上位の常連に。昨年は世界選手権で初優勝し、五輪は金メダル候補として迎えた。
フェンシングの日本勢は前日までに、出場した団体3種目でいずれもメダルを獲得。それが思わぬ重圧となり、松山は「メダルを取らないと日本に帰れないくらい追い込まれていた」と明かす。だが、試合当日になれば「持っているものを信じ、ピストで体現するだけだった」。世界ランキング1位に立った自信で不安にも打ち勝った。
フルーレでは、2008年北京五輪の太田雄貴と、12年ロンドン五輪の団体で手にした二つの銀メダルを上回る結果となった。リーダーの松山は「2位を絶対に超えるというのは、誰一人揺るがなかったと思う」。男子エペ団体が日本勢初の金メダルを獲得し、悔しさを味わった東京五輪から3年。肩を並べる輝きを手にし、日本の伝統種目の誇りを取り戻した。

















