苫小牧民報は今年、創刊から丸70年を迎えた。市内美園町の山崎重悦さん(83)は、小学5年生の時に”とまみん”の前身紙である「南北海」を発刊当初から配達。その後も中学2年まで市民に地域情報を届ける役目を担った。学生時代にスピードスケート選手として活躍した山崎さんは、「新聞配達をしていたことが体づくりの基礎になった。中学時代には集金業務もしてコミュニケーション力も養えた」と語り、地元紙と共に歩んできた思いを語る。
苫小牧民報の前身紙である「南北海」は1950年1月に創刊。翌51年9月に題号を苫小牧民報に改め、一時朝刊紙の時代もあったが57年1月から夕刊紙に切り替え、現在に至る。
山崎さんは36年8月、樺太北部にある敷香(しすか)町(現サハリン州ポロナイスク)で生まれた。小学校4年まで現地で暮らしたが、終戦を迎えて北海道に引き揚げ。苫小牧で家族4人の新たな生活が始まった。「南北海」の配達を始めたのは50年から。友達からスケートの体力づくりで誘われたのがきっかけで、自分自身も「脚力を鍛えたい」と思い、アルバイトをすることに決めたという。
配達の担当エリアは現在の王子町周辺。学校帰りに販売店から新聞を受け取っては長屋型住宅を50~60軒回り、1時間半ほどで4~5キロを走る日々を送った。
今年1月15日、創刊70年を迎えた当日に取材に応じた山崎さんは、約70年ぶりに触れた新聞に「本当に懐かしい」と笑顔で語った。当時の「南北海」はB4判に近い判型の1枚紙。表裏に地域情報やスポーツの試合結果が掲載され、徐々に講読者が増えた時代だった。
苫小牧東中学に進学後は集金業務も任された。「正月前後には餅をもらったこともあった。お客さんとの対話が社会に出てから本当に役立った」と振り返る。
新聞少年を終えたのは高校受験を控えた中学3年の時。培った体力はその後のスポーツ競技の土台となり、苫小牧東高時代はスピードスケートで国体に出場。明治大学4年の時に帯広市で開かれた日本学生氷上競技選手権大会(インカレ)では主将を務め、チームを3部門の総合優勝に導いた。
卒業後は苫小牧市内の自動車整備工場に勤務。市内の高校でスケート競技の指導者も務め、田畑真紀さんや香川真由美さんら5人の五輪選手を世に送った。同市の市議会議員も3期務め、2007年に苫小牧スケート連盟会長、08年から北海道スケート連盟副会長の要職にも就いている。
山崎さんは「新聞配達を通じて実績を残せる体力が鍛えられた。郷土紙とのつながりあって良かった」と話している。
















