「今あるまちは5期18年弱、岩倉市政を支え、歩んだ軌跡。さまざまな課題の解決、可能性にチャレンジしていくことこそが、新しい苫小牧をつくっていくことになる。いかがでしょうか」―。8日夜、苫小牧市長選で初当選を決めた金澤俊氏(50)は、詰め掛けた支持者らに力強く問い掛け、大きな拍手を浴びた。苫小牧市に新たなリーダーが誕生した瞬間だった。
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2007年4月の市議会議員初当選以来、岩倉博文市政を支える与党議員の立場。5期18年弱にわたって市政と向き合い、19年から2年間は議長の大役も担った。これまで市営バスの民間移譲をはじめ行財政改革案件、東日本大震災や新型コロナ発生時の対応、国土交通省の要望活動など、岩倉前市長と同じ時期を過ごしてきた。
11月5日付で退職した岩倉前市長は、金澤氏に「18年、一緒に歩んでくれたな」と声を掛けたといい、金澤氏は自らを「岩倉チルドレン」と称した。22年に自民党道議の遠藤連氏が引退を表明した際、金澤氏は後任候補として名乗りを上げたが、遠藤氏が別の候補を指名した上、金澤氏に「市長を目指して」と激励した経緯もある。5期限りの引退を表明していた岩倉前市長の後継として、出馬するのは「既定路線」とみられていた。
岩倉前市長が体調不良を理由に退職したことにより、異例の短期決戦となった今回の市長選。岩倉氏の後継を取り付けて11月9日に出馬を表明し、岩倉市政の継承を強みに先行。市議選で5選中4度のトップ当選を果たした「選挙に強い」イメージに加え、市議としての経験や実績も十分。一方、岩倉市政に野党的な立場だった政党や市民が、出馬や候補の擁立作業を模索したが難航。立憲民主党勢力から田村一也氏(49)が出馬を表明したのは、告示8日前の同23日と遅れた。
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今回の市長選では金澤氏の人柄がうかがえる場面が目立った。金澤氏陣営の顔ぶれは、自身を支持してきた後援会をはじめ、所属していた会派「新緑」の若手メンバー、スポーツや文化などの分野で関わりが強い人たちが中心だった。
議員時代からの軽快なフットワーク、人の心をつかむ物腰の柔らかさで、スポーツでは小学アイスホッケーや少年野球、スポンジテニス協会、文化の苫小牧樽前歌留多倶楽部でいずれも会長を務めるなど、さまざまな分野で肩書を持つ。時間の限り現場に足を運び、関係者とコミュニケーションを重ね、信頼を勝ち取ってきた。
金澤氏自身も、アイスホッケーと野球、指導者でもある父親に連れ出されるようにして始めた空手と「3刀流」のスポーツ少年だった。苫小牧東高、同志社大時代はアイスホッケー一筋に打ち込み、社会人になってからも競技者としてプレー。現在もおおむね50歳以上が対象となるカテゴリー「オールドタイマーリーグ」で純粋にホッケーを楽しむスポーツマンだ。長男も高校のアイスホッケー部でプレーしており、仕事の合間を縫っては、送り迎えや試合観戦にも足を運んだ。そうした積み重ねの一つ一つが、「金澤俊自然体」の姿で一定の支持を得る強みとなった。
岩倉市政の継承と金澤氏自身が持つつながりを広げ、立憲民主党を軸に組織的な支援を受けた田村候補の猛追を振り切り、「私一人では決して戦えなかった」。まさに「チーム金澤」でつかんだ勝利だった。
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苫小牧市長選で新市長となった金澤俊氏。今回の選挙戦を振り返るとともに、新たな市政のリーダーとして臨む課題や取り組みなどを探る。
(全2回、報道部・石川鉄也が担当します)
















