幕末の探検家松浦武四郎の足跡をたどる苫小牧郷土文化研究会(斎野伊知郎会長)のウオーキングイベント「志古津日誌を歩く」が苫小牧市丸山と錦岡の林道で行われ、会員20人が支笏湖温泉から約8キロの地点の国道276号沿いから口無沼までの約5キロを歩いた。
武四郎が実際に歩いた道を踏破する活動で今年が3回目。2017年の初回は千歳神社(千歳市真町)から支笏湖までの約24キロ区間のうち約8キロで実施。18年は丸山の七条大滝までの約4キロを歩いた。口無沼までは19年に実施予定だったが、悪天候で中止し、今回は12日に行われた。
参加者は当時に思いをはせながら林道ルートを移動。白老町の民族共生象徴空間(ウポポイ)開業当日だったこともあり、山本融定顧問(82)は「武四郎の功績もアイヌの助けがあってこそ」と語り、斎野会長も「記念すべき日に歩けたことは感慨深い」と話した。
武四郎は1857(安政4)年、40歳で幕府から新道開削などの使命を受け、第5次蝦夷地調査を実施。その報告書の一つ「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌」(通称=丁巳日誌)の分冊「志古津日誌」に千歳から樽前方面までの旅の行程が記されている。
口無沼の名は注ぎ込む口も流れ出る口もない沼という意味。武四郎の日誌には、錦多峰川の源流部からさらに上流に位置する沼だとして「ニシタフイトコ」(錦多峰川上流部)と記録されている。
















