広辞苑によると、道義とは「人の行うべき正しい道」のこと。きのう、衆参両院の議院運営委員会テレビ中継を見て安倍晋三前首相の答弁を聞き、改めて調べてみた。
「桜を見る会」の夕食会をめぐる国会答弁に事実と違う内容があったとして前首相が求めて開かれた、異例の質疑の場。前日の記者会見では「国民と国会議員に深く深くおわびする。道義的責任を痛感する」と繰り返した。野党からは、うそだった国会答弁への怒りの言葉が相次いだ。吉川貴盛元農水相の現金受領をめぐる辞職を踏まえ「辞職や自民党離党の考えはないのか」とただす質問もあった。東京では新型コロナウイルスの新規感染者が連日800人を超え全都道府県で感染拡大阻止が課題になっている。特別措置法改正に向けた調整、ワクチンの接種準備など緊急課題が山積する時期の質疑に戸惑う発言も。
前首相は、あんなに使っていた真摯(しんし)や丁寧という言葉をほとんど使わなかった。もう通用しないと考えて変異したのか。代わりに道義的責任、深く反省という言葉が何度も使われた。やはり、人は無意識に自らの内側に欠けるものを隠すように言葉を選ぶらしい。少なくとも、秘書に責任を負わせるだけの答弁からは、人の道も深い反省も見えず、実に後味の悪い質疑だった。閉会後、前首相は「説明責任を果たすことができた」と感想を述べ、次期衆院選への立候補の考えも明言していた。それが道なのか。(水)









