1964年東京五輪組織委役員の大捕良一さん 当時の記憶鮮明に、二度目の東京大会「現地で観戦を」

1964年東京五輪組織委役員の大捕良一さん 当時の記憶鮮明に、二度目の東京大会「現地で観戦を」
1964年の東京五輪組織委員会役員時に使用していた携帯品を手にする大捕さん

 東京五輪の開会まであと半年。コロナ禍の影響で見通しは不透明だが、57年ぶり二度目の開催に多くの人が関心を寄せている。1964年東京五輪で組織委員会役員として会場の警備などに当たった苫小牧市双葉町のスポーツ用品店「おおとりスポーツ」の代表大捕良一さん(77)は、「オリンピックのニュースが流れるたび当時を思い出す。日本人が活躍する姿を早く見たい」と期待を膨らませている。

 大捕さんは高校の体育教師を目指し、東京の国士舘大学体育学部に進学。当時2年生で、スキー部に所属していた。体力と頑丈な肉体を兼ね備えていたことで、大会組織委員会本部の要請を受けて競技会場運営の一翼を担う役員となった。

 五輪期間中の10月、警備交通部としてバレーボールやレスリングなどの試合が繰り広げられた駒沢パーク会場(現・駒沢オリンピック公園総合運動場)で要人警護と落とし物の取り扱いに当たった。10~12日間、午前8時半から競技時間が終わる午後6時ごろまで担当。「日給800円前後の給料と役員待遇の2段重ねの豪華な弁当が支給された」という。

 役員用の帽子やジャンパーを身に着け、警察官らと共に会場入り口の受付付近などを警備した。「米国大使や現上皇后美智子さまなどの貴賓を数多く見掛けた。多くの要人が取り巻いていてピリピリムードだった」と当時の様子を振り返る。

 競技中は観客と同様に試合を観戦。中でもバレーボールの試合会場は満員で、歓声があまりにも大きく会話ができないほどだったと懐かしむ。「自分が今後オリンピックに関われるチャンスは無さそうだから」と通行証、腕章、バッジなどの携帯品、各国の選手からもらったサイン、当時の写真200枚ほどと新聞記事を今も大事に保管している。

 コロナ禍で延期された東京五輪・パラリンピックだが、大捕さんは「当時とは大会の規模が全然違う。新型コロナウイルスの影響で開催が危ぶまれるが、実施されるなら現地で見たい」と目を輝かせた。

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