津波

津波

 前回、宮城県を訪れたのは2016年2月。東日本大震災発生から5年を迎えようとしている時だったが、依然として各地に深い爪痕が残っていた。旧石巻市立大川小。他の場所とは全く異なる、何とも表現し難い重苦しい空気が漂っていたのを覚えている。

 地震発生後、校庭での1時間弱の待機を経て避難した結果、児童74人、教職員10人が津波の犠牲になった。遺族が「適切に避難させなかった」と提訴し、19年に学校や教育委員会の防災対策の不備を認める判決が確定したが、仮に避難の場面に居合わせていたらどう動いていたか。最も警戒すべきものが津波だと判断できたかと考えた。津波で住民の5人に1人に当たる約800人が犠牲になった名取市閖上地区では雑草の間から住宅の土台を見つけ、ようやくその広大な更地が住宅地だったことを知り、思わず震えた。

 浸水で空港機能が失われ、ターミナルビルも孤島化した状態からわずか半年で全面復旧を遂げた仙台空港。運営会社は震災後、旅客機の離陸直前に津波が発生した想定での避難訓練を重ねていたが「防災意識はどうしても希薄になっていく」と打ち明けた。いつ、どこで起きてもおかしくない自然災害。千島海溝と日本海溝を震源とするマグニチュード9クラスの巨大地震が発生した場合、苫小牧市内での津波は最大9メートル余りに達するとされる。来月で震災から10年。津波の記憶はしっかりと紡いでいかなければならない。(輝)

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