苫小牧市勇払の勇武津資料館は20日、同館で「ふるさと歴史講座」を開いた。市民18人が戦争遺構や戦史などに詳しい同館の学芸員、藤原康成さん(64)の講演「日高町門別の戦跡」に耳を傾けた。
2020年が戦後75年に当たることから、節目を振り返ろうと開催。藤原さんは、手製の資料やスクリーンを使って当時の船の写真や地図を示して解説した。
日高町門別地区の厚賀沖では1945年4月19日未明に貨物船の大誠丸(1948トン)と護衛の特設砲艦快鳳丸(1093トン)、同年8月13日、第6号海防艦(740トン)の計3隻が米海軍の潜水艦の魚雷攻撃で沈没している。
このうち大誠丸は、爆弾、燃料の上に兵員1393人や軽戦車などを乗せ、千島列島北部の幌筵(パラムシル)島の柏原港を出航。哨戒中の米潜水艦サンフィッシュの魚雷を受けて沈没し、死者123人、行方不明者528人を出した。
藤原さんは米軍の目的が日本側の補給路を断ち、兵糧攻めにすることだったと説明。日本側の対応について「戦争末期で船がないとはいえ、爆弾と一緒に兵士を運ぶのは無謀。沖縄戦に向けた特攻目的だったのでは」と述べた。
また、当時600人程度の集落だった厚賀地区の町民が総出で同数近い兵士を救助し、看病したエピソードも紹介した。
参加した白金町の公務員、酒井清美さん(50)は「室蘭の空襲の悲惨さは聞いていたが、日高地方にも戦争の爪痕があったとは知らなかった。自宅に帰って詳しく調べたい」と話していた。
















