〈ウタリたちよ、手をつなごう〉。今から半世紀前の1972年、新聞にこうしたタイトルの投稿が掲載された。筆を取ったのは浦河町出身で当時、東京に住んでいた宇梶静江さん(現在埼玉県在住)。さまざまな差別や偏見に遭ってきたアイヌの同胞(ウタリ)に向けて、共に語り合う場を持とう―と呼び掛けた文章だ。
38歳の無名の主婦が記した投稿は大きな反響を呼んだ。心に苦しみを抱える首都圏の同胞らが救いを求めて、宇梶さんの下に次々にやって来た。翌年の73年、東京ウタリ会を設立。差別の解消、生活困窮者への支援など仲間のために駆けずり回った。出自を隠してきた同胞を励まし、国の同化政策で奪われた伝統文化の復興にも力を注いだ。
子供の頃、アイヌを理由にいじめられた。23歳で上京した後も差別を恐れ、ルーツを封印しながら暮らした。だが、大病をきっかけに自らを見詰め直し、アイヌとして生きる覚悟を決めた。新聞への投稿は、その強い意志表示でもあった。
アイヌ民族の権利回復を訴え続け、文化伝承者としても国内外に知られる宇梶さんは、活動の舞台を白老町に移す。11月にも移住し、伝統の営みに触れてもらう場をつくるという。白老のアイヌ文化のまちづくりにも大きく貢献することだろう。先日、町へ訪れた際にこう言った。「ここで民族の誇りを取り戻す活動もしていきたい」。88歳になった今も、同胞支援の熱い志を失っていない。(下)









