米大リーグで投打の「二刀流」として大活躍したエンゼルスの大谷翔平選手は、米国のファンをも熱狂させた。日本でも試合を重ねるごとに、その一投一打に注目が集まり、連日本紙のスポーツ面もにぎわしてくれた。あえて実績を紹介するまでもないが、ア・リーグの年間最優秀選手賞(MVP)に満票で輝いたほかにも、米国の野球に関わる賞を総なめにしている。
こうした大谷選手の活躍に米国社会は「夢」を描いている、そんな分析を東京都立大研究員の小田亮さんが、新聞社のインタビューで指摘している。
ベースボールは役割が決まっているスポーツだ。特に投手は先発、中継ぎ、抑えと「分業制」が当たり前。成績が落ちると選手は入れ替わる。産業の発展で機械化が進むと分業化が社会にも広がり、部品のように入れ替わる。米国の人々は入れ替えることが不可能な大谷選手から「脱分業」の夢を描いて熱狂している、というのだ。なるほど。そんな見方もあるのかと感心した。
もう一つ。大谷選手はこれまでの評価の在り方も覆した。本塁打、勝利数など個々の記録はどれも一番ではない。数字や記録が大好きな米国であっても、数字では評価できないすごさに最大の評価をした。記者会見で「まだ高みを目指せる」と爽やかな表情で言ってのけた大谷選手。かなわぬ夢だと分かっていても、思わずにはいられない。日本ハムにいてくれたら。(昭)









