北京パラ日本選手団 村岡、川除ら帰国

北京パラ日本選手団 村岡、川除ら帰国
北京パラリンピックを終えて帰国し、撮影に応じる村岡桃佳(右)、森井大輝=14日、千葉・成田空港

 北京パラリンピックに出場した日本選手団が14日夜、成田空港着の便で帰国した。アルペンスキー女子座位で金3、銀1と計4個のメダルを獲得した村岡桃佳は、同男子座位で銅メダル二つの森井大輝(ともにトヨタ自動車)とそろって到着ロビーに姿を現した。二人ともメダルを見せて、報道陣の写真撮影に応じた。
 ノルディックスキー距離の男子20キロクラシカル立位で金メダルの川除大輝(日立ソリューションズJSC)も、マスク越しに笑みをたたえていた。

― 急がれる人材発掘、若手育成
 【北京時事】13日に閉幕した北京パラリンピックで、日本はメダル7個(金4、銀1、銅2)を獲得した。各種目のエースが活躍した一方、メダル総数は前回平昌大会の10個から三つ減り、獲得者数も4人から3人に。反転攻勢に向けて、人材発掘、若手育成が急がれる。
 日本はアルペンスキーの女子座位で村岡桃佳(トヨタ自動車)が金3個、銀1個と期待通りの好成績。男子座位でも41歳の森井大輝(同)が5大会連続メダルとなる銅二つを獲得。距離スキーでも21歳の川除大輝(日立ソリューションズJSC)が20キロクラシカル立位で初優勝を果たした。
 ただ、日本選手団にはベテランも多い。日本障害者スキー連盟の大日方邦子強化本部長は、後進の育成が新型コロナウイルスの影響もあって難航していると明かす。
 日本選手団には、子どもたちを北京に招待し、パラリンピックの雰囲気を体験して夢を持ってもらおうという意見があった。「4年に1度のパラの舞台に立つ、という気持ちと憧れが(障害者スポーツに)エネルギーを注ぐ力になる」と大日方さん。しかし、厳格な感染対策が敷かれたため、実現できなかった。
 そんな中、距離スキーに18歳の岩本美歌(北海道エネルギーパラスキー部)が出場した。村岡にしろ、川除にしろ、初出場のパラリンピックではメダルなしだった。悔しさを糧に成長を遂げた例は多い。岩本のような若手の登場は明るいニュースだ。
 日本選手の中には、自身の経験を後進指導に役立てたいと考えている選手も多い。世界のレベルは年々進化する。開催国の中国は、今大会に向けた強化体制の改革で平昌大会のメダル1個から61個に躍進した。日本も世代交代を進め、新時代を切り開けるか。

― 平和の訴え世界へ発信
 【北京時事】ウクライナ侵攻により、スポーツ界でロシアと同盟国ベラルーシの除外は急速に広がった。障害のある選手の祭典、北京パラリンピックも例外ではなく、ウクライナの参加を認めて10日間の日程を遂行。戦時に行われた大会で選手は躍動し、言葉でも世界にメッセージを届けた。
 開幕直前に中国入りしたウクライナ選手団は、積極的に取材を受けた。国のパラリンピック委員会会長が「最大の目標は全人類の平和」と訴え、金メダルを獲得した選手は「このメダルは、ウクライナの平和と人々のためのもの」。選手村ではロシアの軍事行動に抗議する集会も行われた。
 国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長は「政治とスポーツは無関係であるべきだ」と強調した一方、開会式のスピーチを「ピース(平和を)!」で締めくくった。ウクライナ選手団の行動は政治的だと解釈することもできたが、IPCも他国の選手もとがめることはなかった。大会中もウクライナの戦火はやまず、むしろ勇気ある行動として受け入れられていた。
 バイアスロン女子で金メダルを獲得したウクライナ出身の米国代表、オクサナ・マスターズは、昨夏の東京パラの自転車ロード種目に続いて栄冠に輝いた。母親は自分が生まれる前、チェルノブイリ原発事故で被ばくしたという。障害を乗り越え、国籍を変えて輝くパラリンピアンとなったマスターズは「パワーをすべてのウクライナの人に届けたい」と言った。
 アルペンスキー男子の三沢拓(SMBC日興証券)は、競技を通じて人と人とがつながるありがたさを知ったという。「世界のアスリートと友達になった。それが誇り。だからこそ平和が一番だと自信を持って言える」。パラリンピックが目指すのは、すべての人が平等で、多様性を認め合って生きられる共生社会。アスリートたちの願いは届くだろうか。

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