ロシアのウクライナ侵攻がテレビに映る。戦車砲が朱色の火を噴き、戦闘機がごう音を上げて空を切り裂く。撃ち抜かれ崩れるビルや高層住宅、炎上する病院や学校。
爆撃も戦闘も、開戦前の緊張も知らない世代なのにニュース画面を見ながら、恐怖に襲われる。避難する母の嘆きと子どもたちの泣き顔がつらい。数日前の夕方、千歳市の航空自衛隊基地を飛び立ったとみられる戦闘機か練習機が2機、低空で苫小牧市西部の住宅地を飛び、太平洋沖へ向かって行った。何度も聞いたごう音なのに、今は、体の奥にまで響き、消えない。
「力による現状変更」を東アジアで繰り広げ、世界の反発を受けたのは85年前の日本。舞台は中国大陸。手元の年表を広げて見る。1937年7月7日、盧溝橋で日中両軍が衝突して日中戦争が開戦。日本軍は以降、12月13日に南京占領。38年5月19日には徐州占領。10月21日は広東占領。10月27日は武漢占領―と戦線を拡大。大本営の設置は37年11月20日。一連の侵攻と占領は逐一発表され、報道されたのだろう。39年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ進撃して第2次世界大戦が始まった。
キエフ、ハリコフ、リビウ、マリウポリを包囲するロシア軍と往時の日本軍が重なる。今朝のテレビは停戦協議の続行に安心したのか、日本の生活への影響に時間を割いた。小麦やソバの実、サーモンの値上がりと戦地の命が同列でいいのか。避難民は300万人を超した。(水)









