①スケートリンクができるまで―地域でつくり上げた〝氷都〟

 苫小牧市内の学校にスケートリンクが当たり前にあった時代。児童、生徒、教員、保護者が一致団結し、造り上げた銀盤は連日、スケート授業やアイスホッケーを楽しむ苫小牧っ子であふれていた。在りし日の学校リンクの活気ある昭和、平成の光景を本紙の写真資料や記事を参考に紹介する。
(北畠授、石川優介が担当します)

―(1)まずは石拾い(1983年10月、沼ノ端小)
 アイスホッケー部員23人によるリンク作成地内の石拾い。同校グラウンドは火山灰が多いとあり、リンク造りの障害になることから「ボクたちが使うリンクの整備はボクたちの手で」と黙々と作業に励む。

―(2)フェンス運びに汗(1980年10月、光洋中)
 生徒らが約80枚のアイスホッケーフェンスをグラウンドに運び出し、虫干し作業。教員や保護者が破損箇所を後日修理する。毎年苫小牧市教育委員会が修繕費を補助しているようだが、今年は減額されたとあり、学校側は「古材を再利用しなければ」と語っている。

―(3)神主が安全祈願(1967年1月、弥生中)
 アイスホッケー部専用のリンクしかなかった同校に、生徒全員がスケートを楽しめるリンクが完成した。PTA施設部が約30万円を掛け1周250メートルのリンクを造成。誕生を祝して神主による安全祈願が行われた。

―(4)盛大にリンク開き(1967年12月、植苗小中)
 「強い体にきたえよう」と書かれた小旗をかざす子どもたちがリンクを行進した。スケート部員による模範滑走やミカン拾いなどイベントも実施。保護者や教員が造成作業をする際に「よしず」でリンクを囲い、雪や強風を防いだとある。

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