ロシアのウクライナ侵攻に心痛 池野 京子さん(84) 戦争は絶対に駄目 旧満州でソ連軍の襲撃体験 一刻も早い平和望む

ロシアのウクライナ侵攻に心痛 池野 京子さん(84) 戦争は絶対に駄目 旧満州でソ連軍の襲撃体験 一刻も早い平和望む
「戦争で味わった恐怖は一生消えない」と池野さん

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続く中、国外に逃れた難民は400万人を超え、残った人たちも常に命の危機にさらされている。第2次世界大戦後、旧満州(中国東北部)敦化でソ連軍の襲撃に遭い、死線を越えて帰国を果たした苫小牧市泉町の池野京子さん(84)は、ウクライナの惨劇に「命が助かっても恐怖は永遠に消えない。戦争は絶対にしてはいけない」と自身の体験を重ね合わせ、心を痛めている。

 池野さんは幼少期、両親、妹と満州の奉天(現瀋陽市)で暮らしていたが、戦争の激化で、終戦直前に伯母が暮らす敦化に疎開。7歳だった池野さんは、そこで「この世の地獄」を見たという。

 1945年8月15日、日本が無条件降伏した後もソ連軍は満州へ侵攻。同22日には池野さんたちが暮らす、日満パルプ製造敦化工場の社宅群を占拠した。ソ連軍は男性たちを連行し、残った女性を監禁。略奪と性的暴行を繰り返した。女性たちは蛮行に絶望し、集団自決を決意。猛毒の青酸カリを次々とあおって、死んでいった。「早くここから逃げたい」。その一心で池野さんも毒を口にしたが、一命を取り留めたという。

 3歳だった妹を含め、20人以上が服毒自殺で死亡。別の部屋ではかみそりで首を切って自害した女性もおり、被害の規模は計り知れなかった。

 苦難はその後も続いた。池野さんは生き残った大人たちと一緒に敦化の別の建物に移されたが、飢えと寒さで発疹チフスに感染。半年間ほど、生死をさまよった。意識が混濁するほどの重症だったが、奇跡的に回復。46年秋、葫芦(ころとう)島からの引き揚げ船で帰国した。

◇   ◇

 今は3人の息子や孫、ひ孫、友人と頻繁に交流し、趣味に仕事に―と、にぎやかな毎日を送る。終戦から76年たった今も当時負った心の傷は癒えず、人が死ぬシーンのあるテレビ番組は、サスペンスドラマでも見ることができない。執拗(しつよう)に追い掛けてくる敵機の爆撃から必死に逃げまどう悪夢を今も見る。

 池野さんはテレビでウクライナの惨劇を目にするたび、戦禍の記憶がよみがえるという。ついこの前まで日常生活を送っていたまちが戦場と化し、民間人にも容赦なく銃口が向けられている状況は「76年前の満州とまったく同じ」と指摘。「他国に逃れて身の安全が保障されたとしてもこの先、自分と同じように何十年と苦しむことになる」と考えると、悲しい気持ちでいっぱいになる。

 国同士の争いになすすべなく巻き込まれた子どもたちのことを思うと、強い無力感や理不尽さを感じる。満州から引き揚げる際、船に自力でしがみつくことができない小さな子どもがその場に置き去りにされるのを見た。「もしかしたら、同じようなことがウクライナで起きているのかもしれない」。何もできない自分がただもどかしく、できるだけニュースに触れる時間を少なくすることで何とか心の安定を保ってきた。

 なぜ、人は戦争を繰り返すのか―。今、願うのはロシア軍の一刻も早い撤退と、世界各国による人道的支援。「勝った負けたにかかわらず、戦争は悲劇しか生まない。愚かな行為はすぐにやめてほしい」と強く訴える。

 

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