先月上旬、恩人の葬儀があり、えりも町を訪ねた。記者は35年前、コンブ漁手伝いの大学生アルバイトをやり、襟裳岬に7月下旬から約1カ月間滞在して灯台の近くにあった漁師さんの家で働いた。
亡くなったのは当時お世話になった親方。記者より5歳年上で丸太ん棒のような二の腕の持ち主で就職後にも、えりも町方面に行った際は何度か家を訪ねてきた。不意の訃報に接し、葬儀場へ駆け付けてご遺族に尋ねると、病に倒れ、入院し加療も及ばず帰らぬ人となっていた。
昭和の頃、学生生活を送っていた東京で、ある公共施設に掲示された働き手募集のポスターを見た。給料に加えて食事付きのほかに往復交通費支給との好条件に引かれ、道産子故に夏の帰省がてらと気軽に応募した。
漁のある日の起床時刻は午前3時。浜では早ければ同4時40分に漁開始のサイレンが鳴り、親方が磯舟のエンジン全開で沖へ出航する。朝日を浴び、海面からコンブを次々と引き上げる親方。満載のコンブをわれわれのいる浜に降ろすと再び漁場へ向かって急行する。続いて記者は彼の両親とコンブを砂利場の上に手延べして干す作業にいそしんだ。繁忙期はへとへとになったが、年齢の近い親方と休日前にはよく痛飲し、気心を知り合えた。海の仕事と暮らしぶりを知る得難い一夏となった。
2年前には電話で再会を約束していた。通夜からの帰途、車を運転しつつ、親方をしのびにまた岬へ行こうと誓った。(谷)









