10代の頃、新聞の隅に載っていた運動会の記事を読んだ。学校の恒例行事だが、生き生きと競技をする子供、夢中でわが子を応援する保護者、熱気に満ちたグラウンドの様子が、短い記事から手に取るように分かった。子供心に感心し、どんな記者が書いたのだろうとあれこれ妄想した。
20代になって、陶器に入った泡盛が沖縄県の友達から届いた。化粧箱には、くしゃくしゃになった新聞紙も緩衝材代わりに入っていた。北国育ちなので、南国からの品は紙一枚でも珍しく、丁寧に広げると県内の台風被害を伝えていた。友達が毎年、どれほど大きな災害に遭いながら家族と暮らしているのかが分かり、会った時に見せる穏やかな笑顔の深さに気付いた。
新聞記者になっていた30代は、1945年の終戦日に道内で発行された新聞が苫小牧市内で見つかって取材した。天皇陛下の言葉や政府の様子を伝えた紙面で、紙の黄ばみから時の流れを感じた。同時に、この記事を書いた記者は、自分の記事が50年以上も先の未来で読み返される日が来ると、考えたものだろうかと思いをはせた。
自分にとっての新聞は、どの時代のどこに届き、どんな人がどんな状況で読むのか分からない、未知で可能性に満ちた存在。それだけに、読まれるに値する情報や伝え方を考え続けている。15日に始まる新聞週間の代表標語「無関心 やめると決めた 今日の記事」に身を引き締めながら。(林)









