「富士山が見えたときは、涙がこぼれそうになった」。武力衝突の続くアフリカのスーダンから緊急避難した邦人の言葉。山は、その高さと美しさで見上げて育った者の心を支えてくれる。新千歳空港に近づいていく太平洋上で飛行機の右側の窓に、純白の雪をまとった日高山脈が見えたときのうれしさを思い出す。
結婚して以来、盆も正月も、休みが取れれば道南の駒ヶ岳(1112メートル)を目指して車を走らせた。砂原岳、剣が峯など複数の高みを持つ山は、見上げる場所によっていろいろな形に姿を変えて驚かされる。片道5時間ほどの距離は、高速道路の延伸で所要時間が短くなっていった。子どもは成長して、今は孫も大きくなった。自分は義父母の生きた年齢を超えた。あの山を目印に家族で移動する日はもうやってこないのかもしれない。
大型連休は終盤。きょうは憲法記念日だ。テレビには高速道路の家族連れの笑顔が映るものの、ご近所は静かなまま、特に変化は見えない。地方に、より大きく重い少子化や高齢化の大きな波にじっと耐えているようだ。玄関前のチシマザクラが早い春の訪れを教えてくれる。
わが樽前山といえば、少なくなった残雪の近くに、次の季節の花々のつぼみをふっくらと育てて、黙々と輝く。(水)









